気ままなライフログ。

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生き物として正しいこと、それだけ。

生き物として正しいことをする

夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭箇所。

タイトルの通りですが、『吾輩は猫である。名前はまだ無い。』で始まります。最近は猫ブームでSNSでも猫の画像がいっぱい上がってるし、テレビ番組でもよく猫が特集されています。

夏目漱石が描く猫のように、猫が猫であることを完璧にメタ認知している(しかも人間を猫の目線から思いっきり皮肉っている)のはファンタジーの世界でのお話。

人間が生き物の中でも高等な文化を生み出して、ここまで発展したのは人間が自分たちを人間と認知出来ていることもひとつの要素なのだろうなと思います。

 

人間は人間を、人間として認知が出来る。

 

だけど、忘れがちなのかなと思うことがあります。それは人間も生き物、動物であるということ。

 

人間がいくら科学技術を発展させようとも、人間という種としての進化は(退化はあるかもしれないけど)これ以上はしないと思います。

だからこそ、人間という生き物、もっというと「動物」として正しいことを疎かにしてはならないと。

 

寝て、起きて、食べて、動く。

 

シンプルだけどこれが出来てない人が多い気がするし、ここが原点なんだということを忘れている人が多すぎる気がします。原点なのに、適当な人が多すぎる。

かく言う私も、いろいろ理由をつけて適当だった時期があったからこそこれが大切なのだということが芯からわかるようになったのですが。

「心が体を追い越した」

大ヒット中の映画、「君の名は。」の主題歌の一節にこんな言葉があります。

追い越すくらいなら良くて、むしろちょうど良いくらいなのかもしれません。

 

だけど、体を「置き去り」にしては駄目です。心のためにも、体と心の距離は同じくらいが良いと思います。自分をメンテナンスする、とか、ストレスを上手に発散するとか、自己管理をするとか、それは心と体が離れすぎないように調整をすることなんだと思います。

心と身体、どちらかの調子が悪いともう片方に影響が出るあたり、人間はやはり動物だなーと思います。ちょっとのズレに気づけるか気づけないか。動物としての本能がちゃんとあれば気づけるはず。

気づけない、あるいはわかってるのに誤魔化してる状態ならば、一度立ち止まって、自分に本当に大切なものは何なのかをじっくり考えてみて欲しいです。

そしたら気づくはず。自分という存在以上に、自分にとって大切なものはないことに。

 

「自分の幸せは他人に貢献したり尽くすことにある」という人ほど、自分を大切に出来ません。私もそうだったし。

だけど、自分を大切に出来ない人は、他人、家族や恋人すら芯から大切には出来ないです。絶対に。

自分を犠牲にして、愛情を注ぐ誰かを大切にしている、尽くしているという人の「大切」ほど重くて悲惨なものはないと思います。

 

もともとこのブログは人に見せてバズらせようと思って始めたわけではありません。私が人生の夏休みをもらって、ゆっくり自分のことを考えて、新しい自分にリニューアル出来た過程や感じたことをどこかに残しておきたくて、自分の素直な感情や心に残ったことを残しておきたい。そう思って書くようになりました。

 

だけど、今日は明確にメッセージとして伝えたくて、書きました。

届いてほしい。自分にとって一番大切な存在は自分なのだということに、気づいてほしい。そう願っています。