気ままなライフログ。

お仕事、ファッション、本、ヨガ、ピラティス、お料理。気ままにライフログを残します。

わたしのやりたいこと

地域創生や街づくりに関わりたい

おはようございます!気持ち良い日曜日になりましたね。

今朝は自宅近くの明治神宮北参道口から原宿口までぐるっと散歩しました。朝の空気は気持ち良くて大好きなのですが、参道は緑がいっぱいでとても気持ち良かったです。

ここ最近午前中の活動量が増えたのですが、ほんとにすこぶる調子が良いです。良すぎるくらい。どんなことも前向きに捉えられるし、面白がれるし、そのぶん生活の充実度が上がりました。

 

さて、そんな気持ちの良い日曜日に何をしているかなのですが。

今日は午後から銀座のソニーパークビルに

www.sonybuilding.jp

 というトークセッションを聞きに行ってきます。

monogotoの濱口秀司さんのお話が無料で聞けるなんてアツすぎる。楽しみです。

 

今日のイベントのように、最近は自分が興味を持ったイベントやトークセッションにどんどん行くようにしています。自分に必要なことは必要なタイミングで起きるし、出会いもまた然りということを実感していて、

自分に迷いがなければほんとにいろんなことが起点になって人との繋がりが生まれていくんだなって思います。

昨日の参加してきた下記のイベントもとても良かったです。

machinokoto.net

 

私が将来的にやりたいことの中に、街づくりやコミュニティーづくり があります。

田舎から東京に出てきた人間あるあるですが、上京して来て地方と都会の情報格差や仕事の多さや、いろんなことに多いに私は衝撃を受けました。でも出てきたことでやっぱり地方の良さや可能性を痛感もしていて、そんなこんなで地域創生に興味を持ちました。

 

まだまだちゃんと言葉としてアウトプットが出せるほど整理が出来ていないのですが、

私は、人が人として強く、そして充実した生を送るためにはやっぱり人との繋がりがすごく大切だと思っています。

そしてそのためには人が暮らす地域やコミュニティーがパワフルで、人を元気にしたり人と人とを繋ぐ仕組みがあることが必要なのではないかなと思うわけです。

平べったい言葉ですが、地域とそこに暮らす人の生きる力を高めて元気にしたいのです。

今はまだ動き方がわからなくて暗中模索状態なのですが、少しずつ前に進んでいきます。

まずは自分が住んでいる渋谷区の街づくりから。出来ることから一歩ずつ、焦らずにいきたいと思います。

 

必要なことは必要なタイミングでおきる

セレンディピティ

おはようございます。朝晩、日中もだいぶ冷え込むようになって秋も深まってきました。

お洋服も冬服にほぼチェンジして、がっつりコートを着てストール巻いてちょうど良いくらいです。

そんな寒さにもめげず、個人としてはアツく動き回っています。いろいろなことが動き出して、出会う人や日々起こることに後押しされている感じがものすごくします。

セレンディピティが起こるってこういうことなのか。

 

体調が急回復していろんなことがうまく回り始めたのは、やっぱり仕事を休んでゆっくりじっくり自分と向き合ったことが大きいのですが、

もっと大きいのはフットワークが前よりも軽くなったことです。

 

自分のやりたいことに素直になれたし、まずやってみること、動いてみることができるようになりました。そうしたら、「このご縁とこれが繋がるかも」「こういう可能性があるかも」みたいなセレンディピティを感じるようになりました。

こういうふうに道を作ろうと予め計画していたわけではないけれど、自然と道が作られているような感覚があります。

人生を豊かにしていくのに、やっぱり好奇心と行動力は切っても切り離せないものなんですねー。

やりたいこと、ぜんぶ。

昨日はとあるイベントに行ってきたのですが、スピーカーの方のお話で興味深かったのが、

「『自分が何をどう変えたいのか、自分ならどう変えるのか』それに向かうことができるなら手段はなんでもいい」

とおっしゃっていたこと。

刺さったポイントは2つあって、

ひとつは「自分が変えたいもの、解決したいこと、それをなぜやるのか」という自分なりの軸を持つことが大切だということ。

もうひとつは、「手段」はあくまで「手段」であって、たとえ周りからみて脈絡がなくても、自分なりに納得感があれば大丈夫なんだということです。

正攻法で攻めるばっかりじゃなくて、縁遠いものを繋げられるような編集力こそが面白いコンテンツを生み出す力になるんだなと思いました。

(昨日のイベントはライターさんが参加するような、編集に関するイベントでした)

 

そう、最近少し考えていることが、「自分で自分のメディアを作ってみたい」ということです。

もちろん、発信したいことや共有したいことがたくさんあって、なんなら同じことを考えている人と繋がって何かしら出来るといいなーとふわっと思っている、ということもあるのですが、根本的に働き方に対する価値観が変わってきたというのがあります。

仕事を休んでいる間はリアルに無収入で、(傷病手当金は受給できそうですが)生きていく上でやっぱりお金は必要だしそれを得る手段をひとつの収入源に限定することないよなと思ったわけです。

お金の話だけではなく、どんどん医療が発展して寿命が伸びていく世界にいま自分は生きているということを考えると、ひとつの仕事に限定せず、いろんなことをパラレルにやっていくことが当たり前になるんじゃないかなと。ライフとワークが良い感じで混ざって双方に良い影響を与えられるような、そんな生き方がこれからスタンダードになるんじゃないかなって思います。

先週末から読み始めた「LIFE SHIFT」にも影響を受けていますが、本当に必要なことは必要なタイミングで起きるものなのですね。

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あ、この本ほんとにおすすめですー!これからの生き方を考える上で示唆に富んだ本です。また読後に感じたこと、書きたいと思います。

『いま、僕たちが「編む」べきものーー変化する編集の対象、プロセス、そして担い手』sentence lab tokyo vol.3

「書くこと」はセラピーにちかい

朝ランの効能か

おはようございます。今朝はかなり冷え込みましたね。すっかり秋らしくなってきました。

先々週から朝ランを初めてから、その日その日の「体温」を肌で感じるようになり、なんだか五感が鋭くなってきた気がします。

寒い、温かい、美味しい、とか。

もっというと、自分の体と心がいまどんなことを感じているのか、前よりも客観的で冷静に観察が出来るようになってきた感じです。

もちろん体調はものすごく良くて、すこぶる元気で絶好調です。

たまには調子がいまいちかなー、疲れてるなーと思う日もあるけれど、生き物としてはそれが自然なことで、むしろそれを感じていることに安心します。

 

会社で「朝ランを始めた」と言うと、だいたい「すごいねー!」という反応が返ってきますが、自分にとってはすごくも何もなくて、自分の心と体の健康を維持するために必要なことだから自然と自分の毎日の一部になった、そんな感じです。

体にとって良いこと や、良い習慣 はとてもシンプルなのに、それがなかなか出来ない人が多いのはなんでなんだろう。病気になってからでは、調子を崩してからでは遅いのに。バランスを崩してからでは遅いのに。

誰にでも自分に適したバランスの取り方があるから決して押し付けたくはないけれど、自分で自分の体のメンテナンスをすることが出来れば、体と心にとても良い影響を及ぼすんだ、ということを心から伝えていきたいなと思う今日このごろです。

自分は自分にとっていちばんのセラピスト

バランスを取り戻して、体の調子が良くなってから気づいたことがひとつあって、それが

「自分は自分にとっていちばんのセラピストである」

ということです。

自分の体のことは自分が一番良くわかるというのはほんとだと思うのです。だから、自分がどうすればリラックス出来るのかとか、どうすれば快調でいられるのか、いちばんよく知っているのも自分なはず。

他人の手に最初からそれを委ねてはならない、と思います。

 

世の中には情報が溢れかえっていて、仕事や人生が「こうしたらうまくいく」ということが書かれているハウツーも、様々なコンテンツに姿を変えてそこかしこにあります。

でも、つまるところ、自分の人生のオーナーは自分なのだから、自分がうまくいく方法は自分で見つけるしかないと思うのです。

いろいろ試してみれば良いと思います。そのうちぴったりくる方法が見つかるはず。

 

私にとっては、「書くこと」も自分をメンテナンスしバランスを取る上でとても大切な行為です。

 

もともと自分の考えをノートに書き出すことが好きだった私は、何か迷ったり考えごとをしたい時は必ずノートに書くようにしています。

自分が何をどんなふうに感じているのか、どうしたいのか。書くことで、気づいていなかった自分を発見する、そんな瞬間は楽しいものです。

手帳にも、予定だけではなくて毎日の一行日記や欲しいものリスト、やりたいと思ったこと、体重(笑)、パートナーの予定などなど、いろんなことが書きなぐってあります。

きっとアウトプットの方法はどんなかたちでも良くて、ただ自分の半径5メートルくらいにあることを丁寧に感じていきたいんだと思います。

自分の中にある「溜め」を見つめるために、今日も明日も、これからも、書き続けるんだろうな、と思います。

 

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生き物として正しいこと、それだけ。

生き物として正しいことをする

夏目漱石の「吾輩は猫である」の冒頭箇所。

タイトルの通りですが、『吾輩は猫である。名前はまだ無い。』で始まります。最近は猫ブームでSNSでも猫の画像がいっぱい上がってるし、テレビ番組でもよく猫が特集されています。

夏目漱石が描く猫のように、猫が猫であることを完璧にメタ認知している(しかも人間を猫の目線から思いっきり皮肉っている)のはファンタジーの世界でのお話。

人間が生き物の中でも高等な文化を生み出して、ここまで発展したのは人間が自分たちを人間と認知出来ていることもひとつの要素なのだろうなと思います。

 

人間は人間を、人間として認知が出来る。

 

だけど、忘れがちなのかなと思うことがあります。それは人間も生き物、動物であるということ。

 

人間がいくら科学技術を発展させようとも、人間という種としての進化は(退化はあるかもしれないけど)これ以上はしないと思います。

だからこそ、人間という生き物、もっというと「動物」として正しいことを疎かにしてはならないと。

 

寝て、起きて、食べて、動く。

 

シンプルだけどこれが出来てない人が多い気がするし、ここが原点なんだということを忘れている人が多すぎる気がします。原点なのに、適当な人が多すぎる。

かく言う私も、いろいろ理由をつけて適当だった時期があったからこそこれが大切なのだということが芯からわかるようになったのですが。

「心が体を追い越した」

大ヒット中の映画、「君の名は。」の主題歌の一節にこんな言葉があります。

追い越すくらいなら良くて、むしろちょうど良いくらいなのかもしれません。

 

だけど、体を「置き去り」にしては駄目です。心のためにも、体と心の距離は同じくらいが良いと思います。自分をメンテナンスする、とか、ストレスを上手に発散するとか、自己管理をするとか、それは心と体が離れすぎないように調整をすることなんだと思います。

心と身体、どちらかの調子が悪いともう片方に影響が出るあたり、人間はやはり動物だなーと思います。ちょっとのズレに気づけるか気づけないか。動物としての本能がちゃんとあれば気づけるはず。

気づけない、あるいはわかってるのに誤魔化してる状態ならば、一度立ち止まって、自分に本当に大切なものは何なのかをじっくり考えてみて欲しいです。

そしたら気づくはず。自分という存在以上に、自分にとって大切なものはないことに。

 

「自分の幸せは他人に貢献したり尽くすことにある」という人ほど、自分を大切に出来ません。私もそうだったし。

だけど、自分を大切に出来ない人は、他人、家族や恋人すら芯から大切には出来ないです。絶対に。

自分を犠牲にして、愛情を注ぐ誰かを大切にしている、尽くしているという人の「大切」ほど重くて悲惨なものはないと思います。

 

もともとこのブログは人に見せてバズらせようと思って始めたわけではありません。私が人生の夏休みをもらって、ゆっくり自分のことを考えて、新しい自分にリニューアル出来た過程や感じたことをどこかに残しておきたくて、自分の素直な感情や心に残ったことを残しておきたい。そう思って書くようになりました。

 

だけど、今日は明確にメッセージとして伝えたくて、書きました。

届いてほしい。自分にとって一番大切な存在は自分なのだということに、気づいてほしい。そう願っています。

 

 

 

 

自分で定義できる「自分」を少しずつ増やしていく

整いました!

しばらくぶりの更新になってしまいました。この1ヶ月はあっという間!1ヶ月の間に環境が激変しました。でも毎日とっても充実しています。数年ぶりくらいの感覚で、心身ともにコンディションが良く、仕事でもプライベートでも良いことしか起こらない気がします。

単に「ツイてる」というわけではなく、コンディションが良いからどんなことが起こっても前向きに捉えられる自分に変われたと言った方が良いかもしれません。

ここ1ヶ月で起こったこと。

やはり大きかったのは、仕事に無事復帰出来たことです。

まだフルスロットルとはいかないけれど、仕事ができる喜びを噛み締めながら働いています。そして自分でも驚いていますが、休む前よりも明らかにパフォーマンスが上がりました。明らかに。前の自分に戻ったのではなく、生まれ変わった気分です。

復帰してから、いろんな人に「本当に元気になったね」とか、「顔つきが前と全然違う」と言われますが、心身の状態がこんなに外見に出るんだなー、ほんとに自分は元気になったんだなと言われるたびに実感します。

いろんなストレスで歯車が少しずつ噛み合わなくなったような状態を乗り越え、いまは文字通り「整った」感覚です。

健全な体に健全な心が宿る

スーパーサイヤ人みたいに生まれ変わった気分でいるのですが、何が良かったんだろう、と改めて振り返りたいと思います。

振り返ってみると、やはり休み中の過ごし方が良かったのだろうな、と思います。そして、前の自分には戻れないと割り切って新しい自分になる心持ちでいられたのもきっと良かったのだと。

規則正しい生活を送って三食をきちんと摂って、適度に身体を動かす。人間も動物だよな、と思ってそこに立ち返って基本を見直したことが結果的に心の安定にも繋がったし、コンディションを整えるのには当たり前のことを当たり前に行うのが大事なんだなと痛切に思います。

自分にゆっくり向き合っていろいろ考える時間が確保出来たのも、身体のコンディションが良かったから。健全な体に健全な心が宿る、まさにそんな感じです。

復帰した今も、コンディションを整えるためにちゃんと時間を使おうと思っています。たまに羽目を外すことがあっても良いと思うけれど、絶対に大きく崩れないようにコントロールをしていきたいです。

そのために今やっていることが、早寝早起き、朝ラン、お弁当生活です。朝ランは今のところ4日続いたところですが、もはや走らないと気持ち悪いですw

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これはある日の夜ご飯。栄養ほんとに大事。暴飲暴食はせずに、適度な量を食べる。体は正直で、「食べる」ことを大切にし始めてから、やっぱり体は食べたもので作られているなと実感します。

きっと人の数だけコンディションを整える方法はあると思うし、自分に適した方法を見つけられたらいいのかなって思います。

マルチアイデンティティ

そもそも、私が心と体のバランスを失ってしまったことの発端は、私の思考の癖にあると思っています。

自分で言うのもなんだけど、馬鹿ほど真面目で不器用で、全部真正面から受け止めてしまう。

休みに入る前、バランスを崩していた時、私は「自分には仕事しかない」と思っていました。今勤めている会社の肩書でしか自分を定義出来なくて、そこで頑張って結果を出さないと自分の存在意義などない、なんて思っていました。

休みに入って仕事から離れたことで、何者でもない自分に戻って、「自分はどう生きていきたいんだろう、何がしたいんだろう、自分にとっての幸せってなんだろう」と考えることが出来ました。

人は、自分をひとつの役割や肩書でしか自分を定義出来ないと、それがなくなった時に折れてしまいます。私が行き着いた答えは、まずは何者でもない自分を認め受け容れ、そして自分で定義できる自分を少しずつ増やしていくことでした。

これ、自分を認めて受け容れることが本当に大切で、それがないと自分に自信や自己肯定感も持てないし、行動を起こすことが出来ないと思います。

マルチアイデンティティ、ですね。

少し肩の力を抜いて、自分が好きなことややりたいことに素直になって、そうしていくうちに動きたくて仕方がなくなるんです。

今は会社で結果を出さないと「自分は駄目だ」なんて思わないです。(もちろん仕事はしっかりやりたいし、全力でやるし結果も出したい、そこのプライドみたいなものは捨てていません)

今はたとえ結果がついてこなくても、死ぬわけじゃないしきっといずれ出来るようになる、と前向きな心持ちでいられます。自分なら出来る、と自分を信じることが出来ています。

今の自分に出来ること、やれること、やりたいこと。少しずつ、自分のペースでいいから、会社以外のところで自分を定義出来るように動いていきたいと思っています。

 

 

2016年もはやあと2ヶ月ちょっとになりました。こんな調子できっと2016年は暮れを迎えるんだろうなー。来年に向けて、年内は種まきをしていきたいと思います。

 

生きてるだけで

人は見た目が何割なんだろう

少し更新に間が空いてしまいました。何をしていたかというと、特にいつもと変わらない日々を過ごしています。

毎朝起きてご飯を食べて、その日の予定を考えて来ていくお洋服を決めて、お化粧をして。

「行動」だけを切り取れば、休み始めた1ヶ月前とそんなに変わらない、リズムの刻み方は変わらないです。

でも、明らかに「内面」は変わりました。身体が器なのだとしたら、その中身、魂や気持ちや感情は大きく変化したなと思います。

頭も身体もクリアで、気持ちはとっても前向きで、文字通り「調子がいい」のです。ただダラっと休んでたらこうはならなかったと思っていて、休みの間にたくさん本を読んで内省したり興味のあることをとことん調べてみたり、適度に運動したからだと思います。積極的休養を取るってこういうことなんだなーと痛感。これで私も休み方が前よりはうまくなったんじゃないなかって気がします。

 

そんなこんなで、考えていたこと。

人は見た目が9割』という書籍が少し前に話題になったと思います。これ、ある程度正論だと思ってますし、私も女性である以上自分の見た目にはいくらかのこだわりがあります。

でも、前提として、やはりその人の魂や考え方、価値観などの内面がその人の10割を形作っている。そしてそれが結果として、器としての見た目に現れます

心と身体はリンクしているので、内面が変われば見た目がに影響するし、外見を変えれば内面に影響する。もうそれをひしひしと感じた1ヶ月でもありました。

休みに入り始めたときは、気持ちが些細なことで波立ったり落ち込んだりもあって決して安定している状態とは言えませんでした。身体も、冷えやすかったしむくみがひどかったし・・・

今はむくみも取れて、(もともとが冷え性なので完全には治ってませんが)とにかく身体が冷えて辛いみたいなことはなくなりました。身体がクリアというのはそういう理由です。

私は私で、それ以上の何者でもないのだけれど、明らかに表情とか纏うオーラが変わりました。自分でもはっきりとそれを自覚するくらい、です。人間、やっぱり内面こそ重要。

 

生きてるだけで丸儲け

じゃあ、内面は「どうあれば」いいんだろう?

 

いろいろ考えてみたけど、答えは出ませんでした。というか、出すものでもないのかなぁと。正解もない気がする。

生きる「目的」なんてなくて、生きていることそのものがもう奇跡みたいなものなんだから、それを存分に味わうだけで充分尊いと思います。

なにそれ美味しいの?みたいに思う人は、絶対急ぎすぎだと私は思います。急いで生きすぎ。自覚はなくても、あれもこれもとちょっとしたパニック状態に陥ってると思います。

 

自分という器は変えられなくて、人生を通して自分の考え方とか好き嫌いもそんなに劇的には変わらない。それを受け入れてその上でどうすれば自分が心地良くいられるか。自分がどうしたら生きやすくなるんだろうか。そういう思考と行動の連続が、結局その人なりの幸せというものにつながるし、生きがいというものに繋がるんだろうなって思います。

何かがうまくいかない、どうも噛み合わなくて空回りしている、もやもやするという思いを抱えている人は、自分が既に与えられているものを見直して足元を見つめ直してみればいいと思います。

自分を大切にできる、自分を守れるのは最終的には自分だけ。自分に生まれてきたことこそある種の奇跡なんだから、存分にそれを楽しめば良いと思います。

復帰に向けて

もうあと数日すれば長いようで短かかったおやすみも終了し、本業に復帰します。そろそろ気持ちを切り替えていかないといけない時期。

そろそろとアクセルを踏み出していますが、気力は充分すぎるほどです。おやすみを頂いたぶん、しっかりと責任を果たしたい。自分を活かして自分らしく貢献していきたいなーと思います。

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美容院にも行って、今日はピラティスにも行って身体も整えて、準備万端です!

 

 

雨の日こそ彩りを

雨ニモマケズ

おはようございます!今週の頭から急に寒くなったと思いきや、今日は雨模様ですね。雨だとやっぱりテンションが下がりますが・・・

雨だからこそ、いつもとは少し違う特別なことをやってみることを習慣にしています。

メイクを少し変えてみる。

髪型をいつもに加えて一工夫。

お洋服選びは晴れの日よりも慎重になりますよね。動きやすくて、汚れてしまっても大丈夫だけどこじゃれた感じに見せることの出来るお洋服を選びます。

外に出るときは、より荷物も厳選して最小限の持ち物にしたり。

 

何故か今日は朝早くに目が覚めてしまったので、早起きしてお掃除をしてから、

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スタバに朝ごはんを食べに来ました!(写真はシーズナルのアップルスコーン)

この時間のスタバは静かで、今日なんかは雨のおかげで人も少なくて静かで落ち着きます。読書や考え事にはぴったりだなーって思います。

 

最近思うのは、誰だってやりたいことだけやりたいし、豊かな暮らしがしたいし、欲しいものはたくさんあるし、「理想の生き方」みたいなものがあるのだと、

そういう純粋な憧れを持つことは大切だと思います。誰にも嘘をつく必要がないし、自分のやりたいことに素直である、ということだと思うので。

でも、「今自分が持っているもの、今の自分が出来ること」を大切にすることが出来なければ、憧れや叶えたいことは一生かなわないんじゃないかなって気がしています。

こうやって毎日を大切に過ごして積み重ねることや、日々生かされていることに感謝すること。季節の移ろいを感じたり、旬をどんな形でもいいから自分の中に取り入れてみたりとか。

例えば今日降っている雨も、自分にだけ降っているんじゃなくて、誰にも平等に与えられていて自分の力で変えることなど出来ないけど、受け入れて今日をどう楽しく過ごすかという方向にシフトチェンジすることが出来れば、それだけでその人の1日は豊かになると思うのです。

雨ニモマケズ とはよく言ったものですね。名言だと思います。

装いも秋色に

街を行き交う人も、お店のディスプレイもすっかり秋の装いになってきた気がします。

秋は好きな季節のひとつ。

だんだん冬に向かって日が短くなっていくし、なんだかものがなしいなって思ったりはしますが、気候も良いし、何より店頭に並ぶ秋服の色合いが大好きなのです。

なんで好きなのかは説明不能(笑)好きなものは好きなんです。

 

少しずつ、お洋服も夏物と冬物を入れ替えて、メイクも秋仕様に。

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THREEのクリームアイシャドウとアイライナー。アイライナーはボルドーに近い色味で、それだけでメイクする時間が楽しくなります。

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アクセサリーも秋仕様!ファー付きのピアスは完全に一目惚れでした(笑)カジュアルなお洋服にぴったりです。

何か特別なことをしなくても、普通の日常に楽しいことや面白いこと、自分を満たしてくれることってたくさんあります。

 

自分にとって見慣れた景色や過ごし慣れた場所、時間でも、よくよく観察してみることとワクワクしたことを探す好奇心、そして想像力が、毎日を豊かにしてくれるなーって思います。